昔の怒り方

最近は、怒る人が少ない。というか、怒って事態を解決しようという人が少ないように思う。少なくとも、大声で恫喝したりなんてしない。だからこそ、旧態依然としたかんじで怒られると、びっくりしてしまう。声は大きいし、言っていることも余計なことまで言っていて、後味が悪い。反省するどころか、イラっとしてしまう。フォローもない。

そういう怒り方をする人は、わたしが小さい頃はまだいた。だけど最近は、そういうことをするのは良くないし、効果もない。と言われている。確かにそうだと思う。実際わたしは反省する気になれなかった。元から短気な人ではあったけれど、まさかあんなに怒るとは。わたしはがっかりしている。わたしの中での評価も、この一件で地に落ちた。

とても偉い人にはフランクに、少し偉い人には丁寧に。というのは理にかなったコミュニケーション方法だとおもう。そしてわたしが怒られたということはその人は少しだけ偉い人だったのだ。わたしはとても偉い人として接していたけれど。ざんねん。みんなの前で、というのも良くなかった。わたしは腹が立っているというより、夢を壊されたというかんじで本当にがっかりしている。そもそもそこまで好きでもない相手だったけど、わたしは理想の教え子を演じていたのだ。それは向こうも分かっていることだと思っていたけど、なんだかその暗黙の了解すら裏切られた気分になった。わたしはあなたがいなくても生きていける。けれどいた方が生産活動を行っていくうえでやりやすいと判断したのでああいう結果になった。

こういう旧タイプの人は本当に少ない。かつてはそうだった人も変わっていく。世代が若くなればなるほどその傾向は強い。なぜなら、それはわたしたちが昔されて嫌なことだったから。意味はないと知っていることだからだ。人にされて嫌なことはしない、という精神は確実に世の中を良くしている。そのことが分かったのはとてもよかった。

まあわたしが残念なのは、夢を守ってくれなかったことなんだけどね。